救いのみわざ

『心配はいらない』

 私が専従に踏み切って丸二年目、昭和二十四年の十月ごろだったと思います。自宅の松の木が急に枯れてしまいました。(当時私は大阪府堺市に在住しておりました)  あまり急でしたので、母と「これは何か家の災難を松の木が身代わりに …

言霊の偉力

 明主様から、はじめてご浄霊をいただいた時、明主様は私の浄化の状態(カリエスの膿が腎臓の横に溜っている)をごらんになって、『これはひどい。口があいて出るか、尿になって出るかだが、口があかないで尿が出るといいんだがなあ』と …

二・二六事件の朝

 昭和十一年、例の二・二六事件の時のことであります。  二・二六事件とはご承知の通り、時局を憤慨した一部の軍人が突如として反乱を起こした、“いまからでも遅くない”の名文句で有名な事件でありましたが、その二十六日は、私のと …

塔が倒れる

 昭和九年の室戸台風の時ですが、猛烈な台風に襲われて、大阪の有名な寺の五重の塔が倒れたことがあります。  あの時も、明主様は、それを予見なされています。 というのは、その台風の前、明主様のご講話を聞いていたひとりの警部補 …

火の海になる

 私は昭和十一年、明主様のお言葉によって、盛岡へ布教に出ましたが、ある事情から今度は釜石へ引越しました。釜石では大勢の患者が来て、一日五十人から七十人の治療をいたしました。  ところが、昭和十四年の暮になると、明主様は、 …

『頑張れ、大丈夫だ』

 明主様のお言葉というのは、その通りになっていくということを、身をもって体験しました話であります。  終戦の時、私はこのお道で立たせていただきたいと心に決めまして、明主様にそのことを申し上げました。そうしましたら、『いよ …

『いまに負けるよ』

 戦時中、私の主人は海軍々人として活躍しておりました。大東亜戦争が始まってまもなく、マレー沖海戦で、日本が勝って、提灯行列までしてお祝したことがありましたが、その時、私は明主様のところへお礼にまいりました。  明主様は、 …

言霊の妙

 昭和十年一月一日は教団の立教記念日です。この日に備えて明主様は、『善言讃詞』をお作りになりました。これは観音経を分かりやすく縮められたものですが、その中にみろくの世の状態が書いてあります。たとえば天候にしても『五風十雨 …

霊縛のことたま

 大森時代のことです。小山松彦という男に、柔道三段で酒のみの男の霊がかかり、大森へつれて来ました。この時、初めて明主様は、言霊による治療をなさいました。  明主様は、ちょっと、合掌された後、『いたみされ(痛み去れ)』と言 …

『戦争は八月に終わる』

 戦時中の明主様は、特高課にずいぶんにらまれ、思うように御神業は出来ませんでしたが、いつも御面会いただきますと、口癖のように、『この戦争が片づくと、宗教は自由になるし、特高課はなくなるんだよ』とおっしゃっておられました。 …