救いのみわざ

『十一時に四人来る』

 終戦直後のことです。ちょうど手配しておいたお米が手にはいり、お餅に搗いて、四人で熱海の明主様の所へお届けに上がりました。そのころの汽車は急行もなくて、朝早く新潟を出たのですが、熱海に着いたのは夜の十一時すぎでした。もう …

『霧去れ』

 明主様は、昭和五年七月二十一日、富士登山に出発されることになり、人数も十一人と限定されました。 二代様は頂上まではご無理ということで五合目から引返されました。  途中霧などかかって来ますと、明主様にお願いしたものです。 …

何気ないひと言

 昭和二十九年の夏ごろと思いますか、観山亭でこんなことをおっしゃったことがあります。  現在の明主様の奥津城の位置を指さされて、『いまに、あそこが私の永久的な住居になるんだ』と言われました。  その時は、新しい家でも建て …

『いまに来るんだぜ』

 ある日、明主様から伺ったお話ですが、──関東大震災のあった大正十二年の五月に、明主様は小間物問屋岡田商店社長であられ、お店は槇町に、お屋敷は京橋の大鋸町にありましたが、そのお屋敷を、突然三万六千五百円でご売却 (当時時 …

疎開しなかったM君

 明主様が東京にお住いになり、民間療法の名でお救いをされていた当時のことです。  明主様は、たしか昭和十五、六年ごろから主なお弟子には東京が灰燼となるのをひそかに警告しておられましたが、その後十六年、太平洋戦が始まり、緒 …

“国難来たる”の言

 昭和九年のある日、明主様は月次祭の席上、日本対世界の大戦争のご予言を発表されましたが、明主様がご発表なされることは、必ず実現されるので、実に恐れ入るの外はありません。  大体のお話を書かせていただきますと、『英、米、仏 …

『神様はうまくして下さる』

 昭和十九年五月上旬、私も遅まきながら赤紙(召集令状)を受取りました。その月の御面会日に強羅の神山荘にお伺いした私は、明主様に応召を受けた旨をご報告申し上げたところ、明主様は、『まあ、しようがないでしょう。しかし神様はう …

『やっぱり用はなかったろう』

 昭和二十年の七月末に、私に召集令状が来ました。 「八月十五日午後一時までに宇都宮連隊へ入営せよ』という令状です。  私はさっそく明主様にお目にかかって、このことを申し上げました。  すると、明主様は、『おまえ、行っちゃ …

『生命がない』

 昭和十九年ごろの春、初めて私は教会長先生のお供をして、箱根で明主様の御面会をいただきました。  明主様は、私をごらんになるなり、『あなたは、生命がないぞ』と非常に厳しくおっしゃいました。  私はその時、自分は軍人で、昭 …

『子供が出来そうだ』

 私たちは結婚後何年かが過ぎても、子供がお恵みいただけませんところから、明主様にお伺い申し上げたことがありました。明主様は、『だれが出来ないと申した』とおっしゃいます。  そこで私は、「みなさまが、よく太っているから出来 …