救いのみわざ

相手の不平ごころを見抜いて

 私の胸の中に、ある不平ごとがあって、そのことを明主様に申し上げなければいられなくなり、私は碧雲荘へお伺いしました。  明主様は、テーブルを前にして、廊下の椅子にかけていらっしゃいましたが、私がご挨拶して向かいの椅子に腰 …

詫びがすんでない

 明主様には、こわくてウソが申せません。  ある時、四十才前後の男の人(お弟子)が、明主様に何かをお詫びに来ていました。  話を聞いていらした明主様は、『それは初めてじゃないだろう』と言われます。  「いいえ、初めてです …

『腐ってないか』

 上野毛のころ、明主様は、クサヤの干物がお好きでしたが、千葉の人が明主様のところへ、クサヤの干物を送ってこられました。  奉仕者が、「クサヤが届きました」と明主様に申し上げに来ました。  ところが、明主様は本を読んでおら …

天井うらの美術品

 京都の春秋庵をお買いになることになって、明主様と二代様が初めて春秋庵にいらした時のことです。おふたりでお部屋を廻ってごらんになっておられた時に、突然明主様がお部屋の中央に立ち止まって、天井を見上げられ、しきりに気になさ …

焼け残った御写真

 昭和二十五年四月の熱海大火の時、仮本部のあった清水町一帯も全焼したなかに、ただひとつ仮本部だけが、ちょうど絶海の孤島のようなあんばいで焼け残って、信者一同を狂喜させたんですが、それでも、玄関の前二、三メートルの松まで黒 …

やっぱりちがう

 昭和二十五年四月の熱海大火の日、紅連の炎がまだ街の空を蔽っているとき、明主様は碧雲荘から清水町仮本部へ駆けつけて来られました。  そして、『ここは燃えない』とキッパリとおっしゃってから、『だが、出すも のは出しておきな …

いつのまにか正座

 昭和十六年ごろのこと、四十年も宣教師をしている人が、ある布教師に連れられて、明主様のところへ教修を受けに来ました。この人はアグラはかくが正座をしたことのない人なのです。  その人が、明主様の前で、いろいろ教修を受けてい …

ちょっと見ただけでその人がわかる

 昭和十三年ごろは特別講習というのがあって、受講修了者を集めては、明主様から病理や臨床などに関するご講義をいただいたのですが、ちょうどその夜は特別講習があり、旧信徒も交えて十人ぐらい集まりました。そして、渋井先生も特にお …

『とにかく治ればいいのだろう』

 はじめて明主様にお会いした時、私の最初の質問は「これは宗教なのでしょうか」ということでした。  すると明主様は、『宗教ではない。どうしてかね』とおっしゃいました。  「宗教ですと、信じなければだめですし、今日までの宗教 …

ことたまで宣り直し

 昭和二十年八月、私はご浄化をいただいて、一旦重態に陥りましたが、どうやら持ち直して、十八日にヨロヨロとして箱根に伺い、ご浄霊をいただきました。  明主様は、『裸になれ』と言われ、三分間ぐらい私の体をごらんになったのち、 …