『指導者は私ひとりだけだ』
昭和二十三、四年ごろだったと思いますが、明主様に御面会の折、明主様から、『指導者は私ひとりだけだ』という御教えをいただいたことがあります。この時私は、はっと気づき、これは大切なことだと思いました。一生この気持は持ち続け …
形はいかにも相談のようだが
箱根観山亭が出来てまのないころのことです。 ある日、ある教会長さんが、明主様のところへ、何か相談なのか、お伺いに来られました。そのとき私は、明主様のお側でお原稿の整理をさせていただいておりました。 明主様は書きもの …
失敗も大事なことのひとつ
明主様はいつも、『わたしがやれと言ったらすぐやるのだ』『わたしの言うことを、そのまま行えばいいのだ。それが教えだ』とおっしゃっていました。 「失敗しました」と申し上げると、『それでいいのだ。失敗も大事なことのひとつだ …
説くのは私、まとめるのはきみたち
明主様は、『私の指導を受けていればいいんだ』といつも言われました。 それで私はある日、「それを、ひとつひとつ守って行けばよろしいのですか」と申し上げますと、明主様は、『そうだ』とおっしゃいました。 そういうことから …
御教えのいい加減ないただき方はだめ
明主様は、お原稿をお書きになられます場合、何度も何度もご推敲になり、多いのは二十回以上もご推敲になったとか伺っております。それくらい御教えは、心魂を打込んでお書きいただいたものであることを、私どもは念頭に入れて、御教え …
御教えもこちらに智恵がなければ
『御教えは身魂相応に受取れる』というお言葉がありますが、御教えは真理である以上、(真理とは道であり、神の律法でもありますから)無限に深いものでありますから、こちらの理解程度に受けとらせていただけるのであります。 ちょ …
『どんなに忙しくても一日三十分は読め』
お側に御奉仕しておりまして、何か失敗しますと、すぐ、『御教えを読んでいるか』とご下問になるのが 常でしたが、特にご晩年の昭和二十九年ごろは、一層厳しくなられ、ホンの些細な失敗でも、『おまえは御教えを読んでいるか』とお叱 …
『肚でむさぼるように読め』
真剣味が足りないということで、こういうことがありました。 これは昭和二十三年ごろ、清水町時代だったと思いますが、何かの用で上がらしていただいた時、いろいろ御教えをいただいたあとで、明主様は、『あんた信仰雑話を読んでい …
『御教え・浄霊・御用』
明主様は、何か事があると、よく 『御教えを読んでいるか』 『浄霊をしているか』 『御用をしているか』 とおっしゃったものです。 このお言葉を肝に銘じて精進したいと思っています。
失敗も御神書拝読の不足から
明主様は、いつもぴったりと神様の方へピントを合わせられ、一分の隙もない、充実した状態でお仕事をしておられましたから、私ども奉仕者が、少しでもピントはずれなことをしていると、ご注意をいただきました。 そういう時、決まっ …