【誠と奉仕】

奉仕のまことを汲む誠ごころ

 戦時中、明主様が鮎を大変お好きであることを聞き、なんとかお届けしたいと思い、生の鮎を送るには鉄道の便が悪かったので、入手困難であった魔法瓶が辛じてひとつだけ手にはいったので、早速お届けしようと、午後八時発の夜行に乗ろう …

この誠をもち続けるなら……

 昭和二十年の五月、私は初めて東山荘で明主様にお目にかかりました。  その日、明主様から特別のお言葉をいただいたわけではありませんが、“明主様にお目にかかれた”という身にあまる光栄に感激し、それから郷里の伊豆に寄って、時 …

同じ品でも誠のあるなしでは

 献上品を持って上がるのに、乗物の時間の都合やら、不精な気持ちも手伝って、途中で買ったり、つい近くへ行ってからまに合わせたりすることがありました。そんなとき、明主様はなんともおっしゃいませんでした。  献上したいと思い、 …

『ありがとう、うまかった。よろしい』

 あるとき、箱根へ明主様のお好きな鮎をお届けに上がりますと、『部屋へ通しておけ』とのことで、私は神山荘の一室に通されました。  お待ちしていますと、しばらくして、明主様がタッタッタと早や足ではいって来られ、『鮎をもってき …

たとえ干物一枚にも誠はこもる

 ある日、信者さんから干物の献上がありましたが、明主様は干物は平生あまり召上がらないからと、差上げるのを控えていたのです。  すると、献上品目録をいつも明主様にごらんにいれますが–その目録に干物と書いてあるの …

だぶだぶズボンでも誠があれば

 お届けするものでお教えいただいたことがあります。  終戦直後のこと、アメリカから物が送れるという許可がおりると同時に、私の教会の布教師のところへ、アメリカへ行っているお姉さんのところから、日本は敗戦で大変だろうと、衣類 …

『私は信者の誠を食べている』

 明主様は、ふかし芋がお好きで、毎朝召上がっておられましたが、特に川越産のお芋が大好物で、八時ごろふかし芋をよく召上がられました。  あるとき、その川越産のお芋が献上されましたが、その年は全国的にお芋が不作で、献上された …

信者のまごころを考えよ

 昭和二十五年の一月か二月ごろでした。  私は清水町仮本部の御奉仕をしていましたが、私たちの部屋の障子がところどころ破れていましたので、私は不器用な手つきで、切り貼りをしました。  それを明主様がごらんになって、『おまえ …

せんべい一袋にも感謝して

 東京の宝山荘時代というのは、物資不足の時でしたから、魚一匹でも、乾物のひとつでもご献上させていただきますと、ほんとうにお喜びになっていただきま した。  それから箱根、熱海とお移りになってからも、誠をもってやらしていた …

まごころこそ最大の献上品

 明主様は、信者さんの献上品に対する感謝の心づかいを、非常によくなさいました。  たとえば、魚にしても、自然農法で出来たにんじん一本にしても、おあがりになる時はおいしく召上がられて、『これ、だれが持ってきてくれたのか』と …