【慈愛の一面】

若い車夫に学資を送る

 明主様が装身具の卸問屋をしていらしたころのことですが、ある日、明主様は人力車で浅草へ映画を観に行かれたのです。  ところが、その車夫は若いにも似合わず、ヨロヨロしながら車をひいているので、『まだ新前だね』と尋ねられると …

『私が行ってすむことなら』

 明主様のご慈悲の深かったことは、いまさら申し上げるまでもありませんが、昭和二十五年脱税問題の時でした。朝六時ごろ、突然十数名の警官が家宅捜索に来たことがありました。  早速、明主様に申し上げますと、いつもとお変わりない …

『私の苦労はなんでもないが……』

 昭和二十五年のご法難で、明主様は大変にご苦労され、ご自由の身になられて箱根でご休養のころ、たまたま碧雲荘へ帰っていらっしゃいましたが、大変におやつれになっておられました。  そのおやつれになった明主様が、私どもに言われ …

刑事も感心した房内生活

 二十五年の事件の時のことでした。私が拘留中、明主様が留置所におはいりになったのを知って、極度に喪心し、せめてご安否だけでも知りたく思って、K刑事にたずねてみました。するとかれは、「何しろたいしたお元気で、おはいりになる …

陰でのやさしい心づかい

 昭和十八年だと覚えていますが、私のお道の恩師が、医師法違反ということで、留置場に入れられたことがあります。  その時、明主様は、私をお呼びになって、『早く留置場から出られるように手を尽くしてやりなさい』とおっしゃいまし …

『なぜ、おぶって来てやらぬ』

 いつか、箱根へ上がりました時のことですが、日光殿がまだ出来てない時分、観山亭で、『あそこをちょっと見に行こう』と、明主様がおっしゃったんです。  私はおぶさらなければ行けませんし、道がついていませんから行かれなかったん …

ありがたくて涙をこぼしたら

 明主様が地方巡教を一番最初になさいました時に、私の家へお迎えしたんです。  その時、家内は明主様をお迎えしたことがありがたくて、涙を出していましたら、  『奥さん眼が悪いのか』とお尋ねになられました。「いいえ」と家内が …

肩についていた一筋の髪の毛

 昭和二十七年、箱根美術館が開かれてまもないころのことでした。  私はその日、心をときめかせて、二階第四室の美術品の前で、時の移るのも忘れて見入っていたのでした。ふと気がつくと、私の周囲にあった静かなざわめきが、潮が引く …

『それで、おまえ食えるのか』

 私がこのお道に立ってからのことで、終戦直後、明主様が、まだ東山荘にお住いのころです。私も主人も 淡々としていましたので、さて敗戦となって、困り果ててしまいました。主人は戦犯で、無収入。売り食い生活をしていました。  あ …

散歩に連れ出して慰める

 たしかに明主様は江戸っ子でいらっしゃるし、人間的には男気のある方でした。これはある人のことですが、○○さんが昭和二十五年の事件の時、静岡へひっばられて帰ってきた時、“○○さんが原因でああいう事件が起きたんだ”といって大 …