生産的なことはしない
昭和十六年のことです。そのころの明主様は官憲の圧迫によって治療もあまりなさらず、毎日観音様のお絵を描かれて、毎日静かな日を送っておられました。そして、退屈なさいますと、私を相手にいろいろなことを話されるのですが、ある日 …
人には好感を与えるよう
箱根美術館に、特別のお客さんがあります場合など、そういう方々を、おもてなしすることに対して、明主様は、ほんとうに細かいお心遣いをなさっていらっしゃるのを、しばしば拝見させていただいたのですが、たとえば、あらかじめ陳列の …
美術館開館に際して
明主様が非常に美術を愛し、重んじていらっしゃいますことは、いままでにも、ある程度判らせていただいておったつもりですが、さらに、美術館のお仕事において、実に対する明主様の強いご熱意のほどを、いくたびとなく拝見いたしまして …
いつも温かい心くばりを
私が入信したのは昭和二十四年ですが、私は、幸いにして、碧雲荘の会食の集まりのお仲間に入れていただき、いつも楽しい雰囲気の中で、明主様のお話を伺うことがてきました。 それというのも、いつも明主様が、実にこまかく気を使わ …
買いたい法隆寺
昭和二十五年から春と秋と年二回、関西地方へのご巡教が始まりました。 これは教勢の発展に伴い、地方の信者さんに会われるのと同時に、京都、奈良で古美術をごらんになるために行われるものと存じますが、法隆寺へは二十六年の秋に …
電車の中でも浄霊を
玉川においでのころ、明主様は日比谷映画劇場へよく行かれましたが、私もしばしばお供しました。 渋谷駅で落合って、国電で行くのですが、明主様はとても早くて、私が、「お早いですね」と言いますと、『わたしが通ると、向こうがよ …
『怒っちゃいかんよ』
私が日劇へお供をした時のことです。明主様は、『時間前にお手洗に行く』とおっしゃられるので、お供して行ったんです。ところが、その帰りに始まりのベルがなり出したんです。そのために通路が混んでいっぱいになりました。 私はい …
下駄に右、左と書いて
明主様は、箱根ではよく二代様、おばさまとご一緒に散歩なさいました。 お出ましのときには、お召物もキチンとなされてお出ましになりますが、お帰りのころには一枚ずつおぬぎになってしまって、観山亭にお着きのころには、ボイルの …
まずキチンとした服装
明主様はお弟子のうち男子でも、シャレッ気のある人、服装の整った人、好みのアカ抜けした人などに、好感をお持ちになったようでありました。明主様はよくおおせられました、『人間は服装がまずキチンとしているようでなくてはいけない …
名代の時には“ご検閲”を受けて
東山荘当時、明主様のご名代で、他家へご挨拶に上がることが、よくありましたが、人一倍身なりをかまわない私に、明主様は、『私の代理なんだから、服装や態度には気をつけてほしい。すっかり支度が出来たら、見てやるから、部屋へ来な …