昭和二十九年三月六日御講話(1)
今度、いままで私の書いたものの中から選んで「救世教の聖書」みたいなものを編集するについて、「序文」を書いてもらいたいというので書いてみましたから読ませます。 (御論文「救世教とは何ぞや 序文」朗読)〔「著述篇」第一二 …
昭和二十九年三月七日御講話(1)
今度「救世教の聖書」というようなものを編集することになって、いままでに私の書いた中から選り出して編集しているのですが、それについて、「序文」を書いてくれというので書いたのです。だいたいこれはみんな分かっていることですが …
昭和二十九年三月十五日御講話(1)
今朝の新聞にデカデカと出てましたが、二重橋事件で目が見えなくなったY・Kという一一になる子供に関し、写真なども出して、たいへんな医学の功名のように報じてますが、あれはなんでもないのです。どうも医学だと屁みたいなことでも …
昭和二十九年三月十六日御講話(1)
最近、二重橋事件で目が見えなくなったY・Kという一一になる女の子が、清水という博士が手術して見えるようになったといって、新聞にデカデカと書いてありますが、あれは本当のことが分かるとなんでもないのです。あれは頭を打ったの …
昭和二十九年三月十七日御講話(1)
最近新聞やラジオで伝えている二重橋事件で目が見えなくなった、Y・Kという一一になる子供が、清水健太郎という博士の手術によって見えるようになったと、写真入りでデカデカと出てますが、あんなことはくだらないことです。あれは内出 …
昭和二十九年三月二十三日御講話(1)
最近霊界がよほど変わってきたのです。変わったということは、いろいろな霊が、だんだん昼間になってきたため、いろいろなことが分かってきた。それで、大いに救われたいというわけで、あわてだしたのです。あっちこっちに神懸り的のこと …
春季大祭御教え 昭和二十九年三月二十三日御講話(1)
最近霊界がよほど変わってきたのです。変わったということは、いろいろな霊が、だんだん昼間になってきたため、いろいろなことが分かってきた。それで、大いに救われたいというわけで、あわてだしたのです。あっちこっちに神懸り的のこ …
昭和二十九年三月二十四日御講話(1)
春の大祭も、来年は新しくできる会館でやることになりますが、会館は前にも話したとおり、今年の秋の予定だったのですが、神様のほうではどうも、春でなければいけないというお知らせがあったので、落成式は来年の三月三日ということに …
春期大祭御教え 昭和二十九年三月二十五日御講話(1)
今年の初めに言ったとおり、霊界が非常に変わってきたのです。ということは、霊界におけるいろいろな偉い、各宗教の教祖とか、その弟子とか、そういったような人たちの霊がだんだん分かるに従って、霊界が明るくなってくるので、それと …
昭和二十九年三月二十六日御講話(1)
最近霊界が非常に変わってきたために、いろいろな霊があわてだしたと言いますか、非常に変動を起こしてきたのです。いろいろな霊が救われたいことと、それから救世教の仕事をしたいと(もっとも仕事ということが救われる意味にはなりま …