昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(6)
御伺い 邪神はことさら正神らしく見せかけるように思われますが、いかがでしょうか。 御垂示 これは無論そうであって、最初から邪神と判られては人間のほうで警戒するから、邪神の目的は立たぬ。どこまでも正神と見せかけて間違ったこ …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(7)
御伺い 真を行なうにはいかがいたしたらよいでしょう。 御垂示 自分のことを第二にし他人を良くするのが誠である。すなわち人良かれの精神。利他的精神である。世の中とか社会のためになることを行なうことである。真とは嘘の反対で本 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(8)
御伺い 言葉と言霊について。 (一)こちらの発する言葉が相手を益する場合には嘘、怒り、泣き言の相槌などの言葉を発してもよろしいのでしょうか。 (二)神様からご覧になった場合の良否は判らなくても、自己の所信を表現する場合の …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(9)
御伺い 自己の行いに対してはもっぱら小乗的に律し、他人に対しては大乗的に行くべきが本当でしょうか。 御垂示 これは大いなる誤りである。大乗的といえば自分も他人もあらゆることに大乗的でなくてはならぬ。自分を小乗的に律すると …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(10)
御伺い 私は東京で戦災に遇い、ただいま他地に住まっておりますが、相次ぐ物心両面の苦しみに堪えかねつつも救いのお道のため、大いに働かせていただきたいと衷心より願っておりますが、それも思うようにできませんが、どういうわけでし …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(11)
御伺い 入信してからの不幸災難の原因に対する神の慈悲と恵みについて。 御垂示 信仰者に対し神様が恵みを与えようとしても、その人に罪穢があっては神恵を受ける資格がないためである。すなわち入れものの中が汚れているから、それを …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(12)
御伺い 神は浄化をくだし給うて御救いくださる反面、苦痛をも与え給うのは罪業の許しの意味でしょうか。また浄化と関連して死が与えられるということは、いかに考えるべきでありますか。 御垂示 罪業の払拭は苦痛によって行なわれるも …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(13)
御伺い 私は自動車のタイヤ修理工場を経営している者であります。去る五月二七日午前一〇時ごろ、ちょうど私が浄霊に出かけた後でしたが、階下より突然発火し、ガソリンタンクに引火して手のつけようもなく、五分間ばかりの間に建坪四二 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(14)
御伺い 光明如来様を祭った某氏が四二歳の厄払いのお祝いの夜、倉庫の中の衣類箪笥二竿全部盗られました。いかなるわけでしょう。 御垂示 信仰しながら厄払いするのは間違っている。それでは無信仰同様で神様が警告したのである。神様 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(15)
御伺い 祝詞とお願い事とはいずれを先にすべきでしょうか。 御垂示 祝詞のほうを先に奏げるのが本当で、お願い事であるから後にすべきである。祝詞を奏げる一番の目的は霊界を浄めるにある。また祝詞を奏げると霊がたくさん来る。祝詞 …