昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(6)
脳波とは 御伺い 昭和二四年六月九日の『中部日本新聞』に次のごとき記事が掲載されましたが、文中「脳波」とありますのはいかなるものでしょうか。 脳波で交通安全 なぜかということはまだ判らないが人間の脳から脳波(一種の電 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(7)
現在の哲学とは 御伺い 現在の哲学が唯物主観的立場にある以上、迷学というべきではないでしょうか。 御垂示 哲学は本来唯物主観的であって、その一歩上が宗教である。つまり科学と宗教の中間が哲学で、どちらかといえば唯物のほうに …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(8)
御伺い 宗教、芸術、文化の誠とはいかなるものですか。 御垂示 いかなるものにも善悪正邪があり、宗教でも正教と邪教がある。ぜんぜん邪教というものはないが、たいていは堕落の結果横道へ外れたり、外道に堕ちたりする。 いままで …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(9)
御伺い 絵画、彫刻など、人工芸術の極致とは誤らざる自然の描写でありましょうか。また芸術は美の追究であると考えますが、真善を具えればまったきというべきでしょうか。 御垂示 芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(10)
御伺い 音楽もそれを弾く人の想念によって言霊のような働きをなすものでしょうか。 御垂示 勿論そうである。器楽を通じて指先からその人の霊が音律へ入ってゆく。笛など息から入る。故に音楽でも人格者や、信仰のある人のは感じよい。 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(11)
御伺い 世界平和への途は社会主義、資本主義によるべきでしょうか。 御垂示 どっちでもないがどっちも加味される。食物は砂糖だけで味をつけるか、醤油だけで味をつけるかというようなものである。両者をちょうどいい具合にまぜ合わせ …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(12)
御伺い 宗教教育とは魂の啓発でしょうか。 御垂示 世間一般の宗教教育とわれわれの宗教教育とは違う。いままでの宗教の説き方は幼稚園程度で、これ以上は教えることができなかった。『信仰雑話』は小学校程度の教科書である。
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(13)
御伺い ユダヤ、仏教、キリスト教などいわゆる世界の大宗教と称せらるる宗教が、今日の人心世相をすでに二千年、三千年の昔に遺憾なく言い表わしております。このうち最も重大と思わるることで未だ実現しないものに、最後の裁きで地球上 …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(14)
御伺い 過去の宗教でなぜ霊は救われなかったのですか。 御垂示 ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しか …
昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(宗教、科学、哲学、芸術)(15)
御伺い キリストと十二人の弟子について。 御垂示 キリストには十二人の弟子があった。そのうち一人、かのユダがイエスに叛いたため、実際は十一人の弟子である。 その当時、当局の圧迫がひどく、弟子たちはみんな逃避し一〇年の間 …