私は岡田さんには、昭和二十六年と二十八年に、二度お会いしています。どちらも岡田さんからのお招きで伺ったので、最初の時は箱根、二度目の時は熱海でした。
岡田さんが買われたもの、あるいはこれから買われようとされる美術品について、私の批評を求められたわけで、もっぱら美術についての話題でしたから、岡田さんの印象と言っても、私には美術愛好家としての岡田さんしか語る資格はありません。
その岡田さんは、美術全体にわたって、なかなか造詣が深く、鑑識眼が高く、絵画、彫刻、陶磁器など、すべてに眼がきいていられたということは、これはなかなか出来ないことで、えらいと思います。
箱根や熱海の美術館を観て、私がいつも感心することは、国宝や重文、重美のものが多く陳列されているということのほかに、そういう指定をされていない美術品にも、たくさんの立派なすぐれたものがあるということ──言いかえるなら、岡田さんという人の鑑識眼のすばらしさです。そういうものをズバリと手に入れる──これはえらいことです。
それからもうひとつ、私が感心するのは、岡田さんの建築と庭園に対する見識です。箱根の美術館の入口の竹林──あれもなかなかいいです。岡田さん自身の設計になったものだそうですが、たいしたものです。
熱海の水晶殿もおもしろい。岡田さんはご自分で土地を選定して、それに適した庭を造られる。そして、その土地と庭にふさわしい建築をされる。これがさすがに立派なもので、感心させられます。
ああいう宗教をつくる人は、あるビジョンをつくる高い才能をもっているのです。ですから、庭や建物にしても、ここはこうというビジョンが浮かんで来るのです。そして、これは、芸術家と宗教家に共通するところです。
ビジョンは直感力にすぐれている宗教家の当然もっているもので、逆に言えば、直感力にすぐれている宗教家のその天才が、美の方面でも力を現わすのです。