私は“金沢八景”で知られている横浜市金沢区寺前町で楽隠居の月日を送っていますが、大正三年ごろ、岡田さんがこの近くに別荘をお建てになって、毎年避暑においでになりました。おいでになる時は決しておひとりでなく、必ず奥さんとご一緒でした。
その別荘は海の見える小高い丘の中腹にありまして、夏は防虫網戸という、当時としては、なかなかしゃれた立派な建物でした。
岡田さんは、家族や親戚の方ばかりでなく、お店(岡田商店) の雇い人を交代でよこしておられました。
けれど、大正八年奥さんが亡くなってから、岡田さんは、この別荘をそのまま別荘番をしていた奥さんの親戚の方に、無償で譲ってしまわれました。その後別荘は他人の手に渡りましたが、いまでは別荘のあったところも盛り土されて、昔をしのぶものはなにも残っておりません。
岡田さんが考案して、大変に流行したという旭ダイヤは、その別荘の軒に鳴るガラス玉の風鈴を見ながら、思いついたのだそうです。
岡田さんは、いつもここへ来ると、栄太楼の飴などをみやげにもって、私の家へ遊びに来てくれました。奥さんの実家のこどもたちには、訪問のたびに欠かさずお小遣いを下さっていたそうです。そういうことによく気のつく暖かい人でした。
なにしろ、私も九十一の老令で、昔のことはあまり記憶にありませんが、そのころの岡田さんは、ただ一途に商売熱心で、特に趣味道楽といったものもないようで、明るくて、みんなの言うことをよく聞き、相手の邪魔をするようなことをしない人という思い出が残っています。
岡田さんが別荘を譲られてからは、私は一度もお会いしていません。いつぞや熱海を列車で通るとき、連れの者が、「あの高いところにお屋敷があるんですよ」と窓から指さして教えてくれましたが、その岡田さんもお亡くなりになり、五十年の昔を思うと、みんな夢のようです。