自力的信念<じりきてきしんねん>と信仰的信念とでは、あまり差違<さい>なきようですが、いざというときになると、天地ほどの差違が生ずるのであります。自力的信念とは、もともと自己の学問や体験から築きあげた自製<じせい>の信念でありますがゆえに、順調なあいだは大きな力をもつものでありまして、信念の人といわれる事業家<じぎょうか>などは、みなこの種類の大信念の所持者<しょじしゃ>であり、それぞれに相当の成功をおさめていることはじじつです。しかし、ときにはこの過信<かしん>がわざわいして墓穴<ぼけつ>を掘<ほ>る結果となり、それまで堅持<けんじ>していた大信念も、一朝にしてくずれさるという悲惨<ひさん>な例もないとはいえません。かの有名な「わが辞書に不可能の文字はない」と豪語<ごうご> して、一代の英雄をほこった大信念の人ナポレオンも、最後の幕切れは悲惨に終っております。また、かの豊太閤でさえ、晩年は豊臣の天下の衰亡を憂いながら、悶々として生涯の幕を閉じたのにみてもわかりますように、どうしても、人は信仰による信念の持主とならねば、絶対安心立命<あんしんりゅうめい>の境地をうることはむずかしいのであります。なぜなら、信仰の道にあるものは、万一失敗することがあっても、すべてを神意と解し、その信念のぐらつくことは絶対にないからであります。
「地上天国 一三六号」