温かく大きな抱擁力

 私は昭和二十五年に結婚して、東京の田園調布に住んでいましたが、明主様は時々私の家へおいでになりました。

 明主様が、二代様とご一緒に上京されるという電話があると、お着きになる時間をはからって玄関へ出ております。

 明主様は、お着きになると、玄関からスッとお上がりになるなり、すぐ手を洗われて、そしてすぐお食事です。

 こういう段どりは、いつ来られても判で捺したように同じで、食事がすむとウガイをなさって、そして、『さあ、出かけよう』とばかり、目的の博物館などへおいでになるのです。

 明主様のご日常は、全く時間表のように正確な計画的ご日常で、うちへ来られても、たえず腕時計をごらんになって、遅れないようにしておられました。実にきちんとスケジュールに従ってのご生活でした。

 うちへいらした時のことで、特に印象に残っていることは、いつも碧雲荘から持って来られるお弁当で、駅弁のような折り箱に、ご飯とおかずが詰めてあります。そして別に、焼き海苔とお新香とみそ汁をつけますが、番茶は焙じ方がむずかしいとおっしゃって、わざわざ熱海から持って来られました。

 ですから、うちでは、ただ湯を沸かし、みそ汁をつくればよく、『ここのみそ汁はうまい』と、よく賞めていらっしゃいました。

 明主様は、いつも二代様とご一緒ですが、おもしろいのは、玄関へはいるなり、『きみ、熱海からここへ来るまでに、車を何台追い越したよ』と、大層ご機嫌だったことです。

 明主様は、お召物──特に二代様のものを選ばれるのがお好きで、私もデパートにお伴して、ネクタイを買っていただいたことがありました。

 明主様は、ネクタイ売り場に立って、『きみ、いいのがあったら買ってやるよ。だが、早くしないと、私は自分のを買ったらすぐ行くよ』と言われます。

 私はいそいで二つ三つを選び、「どれがいいでしょうか」と伺いましたら、『きみは選ぶのが早いね』とおっしゃって、その一つを買って下さいました。

 デパートでの明主様は、全く神出鬼没でパッパッと要所々々をごらんになって、そして、サッサッと歩かれるのです。

 三越本店の美術部へお伴したとき、明主様は、『私がむかし商売をしていた時は、ここへ来て美術品を買うのが最高の楽しみだった。それを思うと、いまは国宝級のものを買うようになったからなあ』と、感慨無量の面持で言われたことがありました。

 明主様は、この三越美術部がお好きで、よく行かれましたが、大事なおとくいさまというので、駐車場の制服の係員が、明主様のことをおぼえていて、そして、そのつど明主様がチップをおやりになるので、下にも置かぬ待遇をするのです。

 その後、その車が古くなって、教団のわれわれが使わしていただくようになりましたが、三越へ行くと、パッとやって来てドアをあけてくれるので、チップをはずまねばならず、困ったことがありました。

 私が碧雲荘へ来て、泊っていた晩、田園調布の留守の家に泥棒がはいって、なんとなにをとられたという電話がかかって来ました。

 私は、さっそく明主様に、そのことでお詫びを申し上げましたところ、明主様は、『ああ、心配せんでいいよ。こんど私が行ったとき、泥棒がはいらないようにしてあげるから』と、気軽におっしゃって下さいました。

 正直なところ、私は、“その晩家にいなくてよかった。私の留守だから私に責任はないわけだ”、などと自分勝手なことを考えていたのでしたが、そういう自分が全く恥ずかしくなりました。そして、“明主様というお人は、なんと大きな抱擁力のある方だろう”と思いました。

 これに似た経験はなんどかありましたが、理屈ぬきで、私は惹きつけられるのです。こういう方のためなら、私は、どうなってもいいとさえ思いました。

 その明主様から、大変にお世話を受けた場合など、そのお礼を正面切って申し上げると、明主様は照れた表情で、『あ、そう』とおっしゃって、ニコツとされるのです。

 こういうところにも、明主様の得も言われぬ抱擁力──相手をスーッとつつんでしまう力を感じさせられました。