ありのままのお姿

 『執着はいけない』と後年よく言われましたが、うまくゆかぬとみると、ほんとうに思い切りよく方向を転じて、しかもそれによって決して萎縮することなく、常により上の大望を持たれては、着々実現なすっていらしたことには、全く敬服いたすのでございます。

 そうかと思いますと、大森時代には、ちょうどこちらの『栄光』のような機関紙がございまして、それを売って、そのわずかな利益が生活費になったというような苦しい時代、また玉川で治療を差止められて、非常に窮迫していた時代が一時ございましたが、そういう時には、またそれで徹底的にひきしめられ、小さい私どものお小遣いなどでもいただきにまいりますと、〝ウエッ〟と顔をしかめて、つらそうな顔をなさったことをおぼえております。 そんなふうで、あるときはあるように、ないときはないように、そこに少しも世間体だとか、面子だとか、昔からの習慣を固持するとか、そういうことがありませんで、もう実にありのままでございました。