あるとき、箱根へ明主様のお好きな鮎をお届けに上がりますと、『部屋へ通しておけ』とのことで、私は神山荘の一室に通されました。
お待ちしていますと、しばらくして、明主様がタッタッタと早や足ではいって来られ、『鮎をもってきてくれてありがとう。うまかった。よろしい』と一息にそれだけをおっしゃって、お部屋へお戻りになりました。
寸暇もないほどのご繁忙のお時間をさいて、せめて礼だけは言いたいと、私を待たせて下さったお心──たとえわずかなものでも、そのまごころを汲みとろうとされる明主様の温かさ。
私は、人のまごころはいかに汲みとり、受けとるべきかということを、この時ぐらいしみじみと感じさせられたことはありません。