八月二七日
病気に対して注意したいことがあるのです。それは、私の言うことを、非常におおげさに考えたりするきらいがよくあるのです。よく聞く話ですが、譬えてみれば私が「人間は無理をしたほうが健康を増す」ということを言うのですが、これは健康な場合はそうなのです。つまり無理をしただけ……ちょうどスポーツマンがレコードを作るようなもので、あれは無理をするのでだんだんレコードが増していくのです。そこでそれが身について、古橋みたいになるのですが、今度古橋が振るわなかったのは原因があるのです。やっぱり薬毒なのです。注射をよくやったのです。そのために弱ってしまったのです。だいたい、外国に行く場合には、規則的な注射をやりますから、そういうことと、それからレコードを作るために、非常に、強力剤というような注射をやるのです。それでだんだん弱ってしまった。ふつうならあんな馬鹿な話はないです。医学迷信のためにそういうことになるわけです。だから健康の場合には大いに無理をしたほうが良いのです。ところがそれを病人に対して、そういうことを言う人があるのです。で、結核なんかとても大儀で、身体がだるくてしようがないのに「寝ていてはいけない」と無理に動かそうとするが、これがたいへんな間違いです。そういうことは、やはり自然が良いのです。自然農法ばかりでなく自然療法です。そういうふうにしなければいけない。だから身体が大儀で寝たいというときには、つまり寝ろと身体から命じられるようなものです。非常に水分が飲みたいという場合なんか、よく医者は止めます。あなたは水気を飲んではいけない、と……おまけに赤ん坊なんか下痢やそういった場合に非常に止めますが、それでかえって赤ん坊が弱って死んでしまうという場合があります。そういうようで自然に反することがいけないのです。身体が、起きたくて歩きたい動きたいというのを、絶対安静とかいって、医学のほうでやるような、押さえつけて寝かせておくというのは、非常に悪いのです。起きたくないときには寝ているし、それからもう寝ていられない、起きたくて歩きたいというときはそうする。自然にすれば良いのです。それをどうも極端に考えたがるのですが、これは信者さんばかりでなく、だいたい世間の人というのは、そういう人が多いのです。これは特に日本人はそういう傾向があるのではないかと思うのです。物事をありのまま見て、ありのまま感じて、ありのまま話をするという人は、まことに少ないものです。それから私の鉱山をやっている係の者が二人ありますが、その報告を聞くといっぽうはすべて悲観的に言うのです。いっぽうは楽観的に言うのです。それで私はその間をとってやってますが、ああいうことがおかしいのですが、そういった癖がみんなあります。物事そのものを実際通り言う人は、それは偉いです。それは意識的にやる人もあるし、無意識的にやる人もあるのですが、一つのそういう癖でしょう。知らず知らず言ってしまうのです。それから良いことを言うと人が喜びますから、悪いことを言わないで良いことを言う人があるが、あれもいけないです。それから喜ばせるのが嫌いな人がある。人に心配させるというのもある。
御伺い 明主様お伺い申し上げます。病人が衰弱しておりますときに、食物は栄養のものを摂らしていただきますことは。
栄養とはなんですか。
御伺い 牛乳とか卵とか与えることはよろしいのでしょうか。
栄養とは野菜です。卵とか牛乳はごく薄いのです。
御伺い 素人考えで、楽に摂れるのではないかと考えまして。
それも自然なのです。というのは、長く寝ていて非常に胃腸が弱ってますが、そういう人は固形物だとちょっと合いませんから、やっぱり胃腸なんか弱っているから、流動物とかお粥とかやります。それから下痢の場合には、それに合うようにして良いのですが、それは下痢にもよるのです。私なんかこの間非常な下痢をしましたが、ふつうのものと同じです。というのは、下痢の正体が分かったからです。ここ(後頭部)の毒が溶けて下痢になっているのだから、食物は関係ない。ただこういう場合に気をつける。潰瘍です。始終胃の薬を服んで……胃の薬というのは消化薬で、消化薬は重曹が元ですから、重曹というのは、柔らかくする癖がある。そうすると胃壁や腹をだんだん柔らかくしてしまうから、胃の粘膜がちょっと触っても切れるような、そういった習慣になってますから、固形物がそこにつっかかると、傷をして出血したり痛んだりします。それから十二指腸潰瘍もそうです。そういう場合だけです。そういう場合は分かります。出血があります。吐血するとか……胃潰瘍の吐血ですが、それから便が出るとかするから、そのときは潰瘍ができているのですから、そのときはそれに障らないものを食べる。それから腸チフスは、やっぱり腸の粘膜が柔らかくなるのですから、そこでそれに虫が湧くのです。そうして穴があくのです。そうすると、固形物ですと、その穴に入るのです。そうすると熱が出るのです。そこで、医学でもそうですが、流動物をやるのです。しかし浄霊するとじき治ります。腸チフスは、病院に入院している人はそうはいかないが、なんでもなく治るものです。病院に入院している人は、腸に穴があいているのが容易に治ってませんから、流動物です。だから症状によって、それに合わせる食物を摂ると良い。
御伺い 胃腸の衰弱の場合にも流動物で。
いま言ったように、急に固い物をやると無理だから、それは加減してやるというわけです。それから別に症状がないのは、消化の良い物ばかり食べているから、弱っている者もありますから、そういうのはお茶漬がかえって良いのです。だからその見別けは別に難しいことはない。良く聞いて、これはこれだなということで分かります。それから食べたいというのは、身体が要求しているのだから、それで良いのです。よく食べたくないのに、無理しておあがりと言うのは、あれはいけない。一週間やそこら断食してもなんでもない。日本での断食のレコードは、三十何日間かです。どこかの国で断食のレコードを破ったのは、七十何日間です。これは世界一です。ふつうの人ではそうはいかないが、それでもまず三週間は大丈夫です。だから成田の不動さんの断食のお籠り堂は、三週間までは良いと許可を得てます。それまで食べなくても大丈夫です。食欲のない人……病人は衰弱しているから無理でしょうが、食べたくない人は三週間やそこら食べなくても大丈夫です。それからもう一つこういうことがある。私は以前リンゴを食べなかったから、信者のある人が……その時分は大先生と言ったが……「大先生はどうしてリンゴはおあがりになりませんか」と言うから、私は「リンゴはつゆ気がないから、あんまり好かないから食べない。だから食べたい人は食べても良いが、私は食べない」と、よくリンゴを持ってきますから、ちょっと言っておいた。それからこういうことを言った。「よく医学のほうではリンゴは薬になると言うが、別にどの果物が薬になるということはないので、神様は必要があってこしらえたのだから、それの好きな人は食べて良いので、リンゴが薬になるということはないから」と言ったことがあるのです。そうするとどう間違えたものか「明主様はリンゴはいけないと言った」ということになって、それはかなり拡まったものです。私はその都度取り消しましたが、かなり伝播力が強かったとみえて、取り消しのほうが効果がないのです。そのあげく最近おもしろいことを聞いたのです。これは地方でですが、リンゴは医学では薬になるというのだから、リンゴを食べるとやっぱり薬毒が害をするから、そこの家では、リンゴをもらっても食べないで腐らせるというのです。なんだというと薬毒が怖いというのです。そういう滑稽なことがあるのです。だから私が言ったことや書いてあることを、そのまま受け取ると良いのですが、それにおまけをつけてだんだん誇張して、口から口へ伝わるために、だんだん育っていって、とんでもないことになってしまうのです。だからそういう馬鹿馬鹿しいようなことで、あんがい間違ったことがありますから、すべてなんでもいつも言う常識です。神様は人間においしい味のある物は、これは食べろ、味というものが栄養になるのだから、味のない苦い物とかまずい物は食べてはいけない。そういうためにあるのだから、それを我慢して食べるのは間違っている。ということは本にも書いてありますから、それをそのままとるようにすれば、間違いないのです。 だからつまり自然ということを忘れないことと、常識で判断することを守っていれば、まず間違いないということです。それだけの注意です。
それから栄養についておもしろいことがある。一昨昨日奈良の薬師寺の管長が来たのです。私はああいう寺は禅宗だと思っていたら、そうではない。法相宗というのです。禅宗はだいたい京都の大徳寺の大燈国師です。大燈国師は開山ですが、あそこを作ったのは、そのちょっと前のなんとか言う……名前を忘れましたが、その人が開祖で大燈国師は開山です。そう古いものではない。そうして奈良で聖徳太子が作った仏教は法相宗というのです。その管長さんで、なかなか立派な人です。その人は絶対菜食で、私の所でお昼のごはんをあげましたが、カツオブシもいけないというので、カツオブシも入れないでいたしましたが、そのくらい厳格なのです。ところがその顔色というのが実に良いです。あのくらいの顔色はめったにないです。肥ってますが、肉のつき方は実に良いです。あれは理想的な健康法です。日本人の模範的な人でしょう。顔を見ただけでも実に気持ちが良いです。そうして話でも実に頭が良いです。ちゃんと話が合っているのです。それに美術館を観て、実にまた良く知っているのです。多く仏教的なことです。あとはお茶のこと、それから支那のこと。支那には長くいたので、なんでも支那の「五台山」で修行したというのです。日本ではその人ともう一人、二人で「五台山」で修行したそうで、なかなかほうぼうで修行されたようです。ずいぶん知っている人で、あのくらいの坊さんは私は見たことがないです。実に立派な坊さんで、あれならまったく頭が下がるようです。その人は病気をしたことがないそうです。また薬を服んだことがないそうです。もっとも薬を服まないから病気もしないし、病気をしないから薬も服んだことがないのですが、だから栄養は野菜にあることと、薬を服まなければ病気をしないということを、実によく表わしているのです。ですから栄養というのは野菜なのです。私は、これは本にも書きましたが、一八のときに結核で菜食療法を三カ月やりました。カツオブシも止めました。いまなぜやらないかというと、菜食をしていると非常に無欲恬澹<てんたん>になるのです。欲望というのは、非常に薄くなるのです。すべてに満足して競争とかは、これ以上どうするということは、非常に薄くなる。ところが私はいまそういう気になっては困るのです。なにしろ悪魔と闘わなければならない。悪魔と始終闘ってますから、いまのようなことでは、とうてい太刀打ちできないから、肉も食べるし魚も食べるのです。それで九〇まではそうするつもりです。九〇過ぎてからは菜食にします。いくつまで生きるか分からないが、大いに菜食をする、という話をしたのです。そういうようで、なにゆえに菜食が良いかということですが、一番良いことは菜食をすると非常に温かいのです。その時分はユタンポを入れなければ寝られなかったが、菜食をすると入れなくてもポカポカするのです。よく寒いという人は肉を食べますが、あれは一時的なものです。やっぱり薬毒と同じです。だから年を取った人で、そう欲張る必要のない人は、できるだけ菜食にすると温かいです。話は横に外れますが、第一よく昔の絵を見たりすると……『源氏物語』なんかにもよくありますが、その時分には障子というのがなかったでしょう。それから蒲団がなかった。板だけだった。偉い人だけは、お雛さんみたいに厚い畳のようなのに坐って、あと家来は板の間に坐っていた。少し進んでからござを敷くようになった。それで障子はなくて、御簾を垂らしていた。吹きさらしです。いまの人なら一時間といられないです。気侯はいまと同じですから……。それで偉い人は十二単なんてのを着るが、あれは寒いためでしょう。そういうように我慢できるというのは、みんな菜食をするからです。いまの人は肉を食べるから寒がりなのです。外人は特に寒がりですから、部屋を締め切って、ストーブを焚くという保温装置ができたのです。日本人は障子なんかでやっているのは、割合野菜を食べるからです。そういう点もいろいろ知っておかなければいけないです。病人なんかでも非常に寒がるのは、野菜を多く食べさせるのです。
それから九分九厘と一厘ということは、つまり私のやっている仕事というのは、一厘の仕事なのです。九分九厘に対する一厘です。メシヤ教というのは、そういう意味で出現したものです。これもよく話しましたが、ごく分かりやすく書いてみたのです。
(御論文「Αの文化」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六一九―六二一頁〕
これは『文明の創造』の中にある一節ですが、それを読ませます。
(御論文『文明の創造』「九分九厘と一厘」朗読)〔「著述篇」第一〇巻三二八―三三二頁〕
つまり『文明の創造』の一番肝腎なことは悪を肯定することです。いままでの宗教は悪をぜんぜん排撃したのです。悪はいかんと排撃してもなんでも、悪の勢いは善を押しつぶす力強さがあったのですが、それで人間は悪に苦しめられた。不幸だとか災難……あらゆるものはみんな悪の被害です。ですから悪の被害者が大多数です。それが不幸になり、地獄世界というものです。それは悪が作ったものです。それなら神は愛だとか、そんなことを言って、人間が苦しむのを許してあるのは……なぜ作ったかということになりますが、つまり悪はいかんと善を奨め、悪を懲らすというのが、全部の宗教の根本だったのです。私は悪は必要だった、悪によって、これまでのすばらしい文化ができたということを書くのですが、どういうわけだというと、いままで主神は善と悪を両面作って闘わせたのです。それでいままでの宗教の開祖というのは、善のほうの神様なのです。それから共産主義とかいろんな、戦争を起すああいった悪虐な思想……すべて悪に属するほうは、邪神といってやはり神様です。これが闘っていた。それがいままで悪のほうが上になっていた。善のほうが下だった。これが九分九厘です。こっちのほうは一厘だけ残った。これが今度はずっと上になってきて、悪よりかちょっと上になる。これで勝つのです。『聖書』に「勝利の都に降臨する」というのがありますが、勝つということはそういうことです。いままでは悪が勝っていたのが、今度は負けて、善のほうが勝つのです。ミロクの世というのはそういうことです。しかしぜんぜんなくなることはないので、ただ悪のほうが善に負ければ良いのです。善のほうが勝てば幸福な世界ができる。そこで私が書いているのは主神の経綸ですから、善と悪と両方書くのです。これも必要だったのだ、これもオレがこしらえたのだとおっしゃるわけです。これも必要があったので、ある時期までは勝たせていたが、もう必要がないので善のほうが勝ちやすくなる、というのが最後の時期で、これからです。その意味が分かれば、いままでの悪……悪のうちの一つの仕事が医学ですから、医学というのは邪神が作ったのです。つまり人間を弱らせるためです。この間も読んだでしょうが、人間はどんな者でも一二〇歳以上は生きることになってますが、それを半分に……今日は六〇歳ですから半分に縮めていた。ここいらでよろしい、人間の寿命を縮める間にこれだけの文化を作ったので、もう良いからと元の一二〇歳に戻すという神様の御意志です。それは薬をぜんぜん服まないで、いま言った通り、菜食と動物牲の物を同じくらいに食べていれば良いのです。アメリカで一番困っているのは胃癌ですが、一番数が多くて治らないのです。これは肉食のためです。アメリカは肉を食べ過ぎたためです。日本は胃癌というのはなかったのです。近年はありますが、昔はなかったのです。これは肉食のためです。これは私はアメリカにも教えるために方法を考えてます。そういうように天理に合ったやり方をしていれば、年中健康で、一二〇歳まで生きるのはあたりまえです。別に難しいことはない。それを薬を服んで弱らせるように神様にさせられたのです。そこで、大乗の考えというのは、ふつう人間には分からないというのはそこです。そういう点を今度『文明の創造』にいろいろ書きます。で、世界中の人間に分からせるのです。というのは、いま書いてますが、最後の審判……世の終わりというのは、これはまたたいへんなのです。それは世界的大浄化作用です。いまそれを書いてますが、今度あたり読ませます。これは第三次戦争は起るか起らないかということですが、これは一番知りたいことですから、この次までのお楽しみにして。