当時(昭和十七・八年)の私の身体は、御面会のたびに明主様のご浄霊をいただかないと、苦しくてしようがなかったわけですが、お忙しくて申しわけないとご遠慮しているんです。そのうちに我慢しきれなくてお願いするのです。
すると明主様は、『あんたの顔を私は見るのが辛かったよ。もうお願いするだろう、するだろうと思っていたのに、あんたはお願いしなかった。遠慮は罪悪といってね。私からしてやろうとは言えない。浄霊はお願いしていただくものだから、お願いしてくれなきゃ困る』とおっしゃるのです。そして、『あなたの身体だけのものなら構わないが、いまはあなたの身体を通して、神様が働いておられるのだから、万一のことがあって霊界にでも行ったら、どれだけ神様の邪魔になるかわからない。ひとつはあなたの身体は看板なのだ。だから決して遠慮は要らないから、ご浄霊をいただいていかなければいけない。それでないと私が困る』と、勿体ないようなお言葉をいただいたこともあります。
また、東山荘のころ、お庭で御面会をいただいた時代がありますが、その時も、『あれは不自由だから、椅子を出してあげなさい』と言われて、必ず椅子を出して下さいましたが、ほんとうに人の苦しみを判って下さるというのですか、大事にして下さいました。だからこちらも、自然と“明主様のためなら”とった気持ちになれるのです。