昭和二十九年二月二十日御講話(1)

 ハワイ本部の落成式が『ハワイ報知』という新聞に出たのですが、なかなかよく書いてあります。ハワイに二つの新聞があるそうですが、その一つなので、信用はできる新聞です。

 (『ハワイ報知』二月一五日付掲載「世界メシヤ教布哇<ハワイ>教会落成式」朗読)

 写真も出てますから見たい人は後でゆっくり見られるとよいです。

 ハワイを始めたのはちょうど去年の今月です。しかし本当に活動を始めたのは二、三カ月先からなので、しかも最初行ったときには、ほとんど無人の境に行ったようなもので、別段なにもなかったのです。本当に無から有を生じたようなものです。それが一年たつかたたないうちに一〇〇〇名以上の信者ができたのですから、ほとんど世界にも例がないでしょう。しかも教会建設費約一〇万ドル、日本の金にして三六〇〇万円ですが、それが全部ハワイの信者から出たので、私は一文も出してないのです。ですからなかなかたいしたものです。この勢いで進めば、今年いっぱいぐらいたつと、すばらしい、ちょっと想像もつかないぐらい発展するだろうと思ってます。その原因をよく考えてみると、ちょっと日本と違う点があるのです。それはなにかというと、非常に病気の治りがよいのです。それと、再浄化とか、そういうややこしいことが、あとあんまり出ないのです。きれいに治るのです。ちょっと不思議ですが、それはどういうわけかというと、向こうの人は漢方薬を服んでいる人がほとんどないのです。それで、これはみんな経験しているからよく分かるでしょうが、日本の病人が浄霊で治りながら、後から後から薬毒が出てくるのです。実に薬毒が多いのです。これはなぜかというと漢方薬なのです。それで西洋の薬は毒は強いが量は非常に少ないのです。だから取れやすいのです。この点がだんだん分かってきたのです。ですから結核などで再浄化がよく出ますが、あれはなにかというと、西洋の薬もありますが、結核などの人は最初は西洋の薬でやっているが、どうしても治らないので、迷って、たいていは漢方薬を服むのです。ですから結核の再浄化というものは漢方薬が主な原因です。そしてお茶の代わりに服むようなものですから、非常に量が多いのです。取っても取っても後から後から出てくるのですが、これはみんな漢方薬です。ですから、こうなると、西洋の薬よりも漢方薬のほうが恐ろしいです。近来日本で「寿命が延びた」と言いますが、これはそれなのです。以前は漢方薬のために寿命が縮まっていたのです。早死にしていたのです。ところが近来に至って西洋の薬になって漢方薬はずっと減りましたから、それで寿命が延びたわけです。つまり前には毒を多く用いたから早死にだった。それで今度は毒を少なく用いたから延びたというわけです。少ない毒もぜんぜん止めてしまえば、もっと延びます。実に人間というのは馬鹿なものだったのです。薬をぜんぜん止めてしまえば、人間は一〇〇以上は生きます。ちょうど肥やしをやって米を穫れなくしているようなものです。薬で寿命を縮めていたのです。ですからハワイあたりはそのために非常に治りがよいのです。そうして、治ると、後いろんないざこざがないのです。治りきりになってしまうのです。だから、それらの人がドンドン活動するのです。それに、ごく最近ロサンゼルスのほうも、お蔭話がときどき来るようになりましたが、それも非常に治りがよいです。それこそ、十何年ぐらいわずらっていたり、あるいはアメリカの大病院でアメリカの有名な医者が四人も見放したようなものが、一週間かそこらでたちまち治ってしまうのです。だから本当にあっちに知れるに従って、すばらしい発展になるだろうと思ってます。
 それから、エリス・グリリという人が手紙をよこしたので、それを翻訳したのですが、これは箱根美術館の野木という女の人に来て、この人がチャンと翻訳したのですから、なかなか英語ができるのです。今度初めて知ったのですが。

 (「グリリ夫人からの御礼状」朗読)

 グリリという人は日本が非常に好きで、日本の家を買って、永久に日本に住むのだそうです。ですから、やっぱり畳で日本食で、日本人と同じような生活をしているわけです。将来この人は非常に救世教のために働くようになっているのです。いまでもだいぶ活動しています。各国の大使館などに行って「救世教というものはすばらしいものだ」と、非常に宣伝しているわけです。これは私のほうで一言も頼んだわけではないので、つまり私の仕事に非常に共鳴して、本当に世界のためだという気持ちでやっているのですから、実にすばらしい人です。いずれはアメリカの新聞などにも堂々と書くはずになってます。だから熱海の地上天国ができたら、外国に知れるのも、たちまちだろうと思ってます。この人の他にも、シモンズという人がやはりそれと同じように期待しているのです。みんな神様が用意された人たちです。だからとても分かりが早いです。

 いまの一番の問題は汚職問題ですが、いままでにこんなに一度にいろんな種類の汚職が出たことはないでしょう。汚職インフレです。それについて書いてみました。この前書いたのとはまた違う見方で書いてみました。
 (御論文「再び汚職の母体」朗読)〔「著述篇」第一二巻二三四ー二三七頁〕

 汚職問題も浄化作用ですが、おまけに霊界がだんだん明るくなるにつれて、ああいう問題が発見されやすくなるのです。それを書いてみました。

 (御論文「疑獄も浄化作用なり」朗読)〔「著述篇」第一二巻二三九ー二四三頁〕

 こういうようなわけで、綱をたぐってゆくといくらでも出てくるのです。ですから造船問題にしても、全部と言ってよいと思うのです。つまり言うと、腐った水に虫がわくようなもので、全体が腐っているからしていくらでも虫がわいている、それから、後から後からわくのです。だからいまいろんな世論を聞いてみても……二、三日前の晩のラジオで町の声を街頭録音で聞きましたが……みんな憤慨したり、それから新聞などにも出てますが、「こうしなければいけない」と言ったところで、結局肝腎な「神」というものを認めない限りなんにもならないのです。人間は神を認めて、神様が見通しだということを知ればそれでよいのです。他のことは別に必要ないです。それが、ややこしい、「ああしろ、こうしろ」と言っているだけでは、なんにもならないです。肝腎な「神がある」ということを唱える人は本当にないのです。そういうことを言うのは救世教だけなくらいでしょう。他の宗教でもそういうことは言っていませんから……。ですから九分九厘と一厘の仕組みと言いますが、世の中全体は九分九厘の腐り水みたいなものです。そうして救世教が一厘でだんだん浄めてゆくわけです。そこで神様は私に、それを浄められるだけの力を与えているわけです。だからずいぶん思いきったことを言いますが、それは言うだけの自信がこっちにあるから言うので、ずいぶんひどいことを言いやがると言って突っ込もうと思っても突っ込めないのです。それは、こればかりでなく、ふだんから医学のこともずいぶんひどいことを言ってますが、なにか突っ込んで来る人があれば結構だと思って待っているが、そういうのはないです。突っ込めるような人があるとすれば、その人は気違いか、さもなければ、も<ママ>のほど知らずというような人だろうと思います。ですからこの救世教なるものは、たいへんな存在ということになります。いまのところは一般に分からないでしょうが、だんだん分かってくれば、文明は引っ繰り返ります。大本教のお筆先に「今度は手の平を返すぞよ」とありますが、ちょうど手の平を返したようになります。つまり、こっちが本当だと思って一生懸命になっているのが、こう(反対)なってしまうのですから、いままで考えていたことが、ぜんぜん反対になってしまうのです。信者さんはみんな手の平が返った人です。その目で見ると世の中の間違っていることが実によく分かります。ですから私は前に「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と言ったことがありますが、いまのいろんな汚職問題などで苦しんでいる人を見ると、実に愚かというよりかやっぱり「超愚」のほうです。それがよく分かります。

 昨日石丸梧平という人に会ったのですが、立派な本を持ってきて、「一つ教祖の非常に肝腎な、ぜび知らなければならないことがこの本に書いてあります」と言うのです。観音経の講義かなにかを書いてあるのです。立派な本でした。それでしゃべり出したから、私は「観音様はいいです。観音様は私に始終かかって直接教えてもらっているから。むしろ世の中で観音様を解釈しているのとたいへんに違っていることがあるから、私のほうでその違っていることを話してもよいが」と言ったら、「それではしようがない」と大笑いだったのです。しかしその人は、宗教のほうではちょっと有名な人ですが、その人でさえ実に浅いです。一言で先のほうが破られてしまいます。私はずいぶん思いきったことを言いますが、これはしようがないわけです。ところがこれがみんなに分かってくれば、思いきったことでもなんでもないので、あたりまえのことで、実に平凡なことですが、世の中が平凡まで行ってないから、平凡なことをたいへんなことに思っているのです。昨日の人も、私の言うことが実に飛躍していると言ってましたが、飛躍でもなんでもないので、地面の上の人が、ちょっと地面より高い所に上ると、ずいぶん高いように思います。というのは、先のほうは地面より下にいるから、地面よりちょっと上でもずいぶん高い所に見えるわけです。
(御講話おわり)

「『御教え集』三十一号、19540315、19540227、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p」 昭和29年02月27日