明主様「救世会館」の構想と「日本の使命」について大いに語られる
竹内四郎氏ほか二氏との御対談(一)
既報(『栄光』第一七三号所載)マドレーヌ・ダヴィッド女史とともに箱根美術館を訪れ、明主様に御面会いただいて帰られた、報知新聞社取締役社長竹内四郎氏は、このほど小西広告部長、小坂編集局員の二氏を連れ立って、木原理事の案内にて一月七日午後三時三〇分碧雲荘に到着、待つ間もなく明主様はお出ましになり、いつもと変わられぬ明主様のお気軽さに、座談の花が咲き、後から後からと尽きせぬお話に、一時間半は一瞬のごとく 感じられた。
その間明主様には始終いともお機嫌うるわしく御款談遊ばされ、午後五時御退座遊ばされました。そのときの 模様を速記によりお知らせ申し上げます。
昔の宗教と、いまの宗教
【 竹内氏 】 ずいぶんお元気ですね。
【 明主様 】 ええ、もっとも体を良くするのが商売ですからね。
【 竹内氏 】 いま工事をしていられる所(瑞雲郷)を拝見してきましたが、なかなか良い所ですね。できましたら立派になりますね。
【 明主様 】 そうですね。
【 竹内氏 】 東海道どころか日本の名所になりますね。
【 明主様 】 そうです。日本一いい所にするつもりです。
【 阿部執事 】 『報知新聞』は紙数は二二万くらい出しているそうです。
【 竹内氏 】 少ないですからもっと増やそうと思ってますが、新聞というのは金をかけないと駄目になりますのでね。
【 明主様 】 なんでもそうですが、新聞は特に金ですね。つまりいかなる事業でも金です。宗教でもそうです。昔の宗教家は乞食坊主のような格好してやってましたが、いまでは駄目です。もっとも昔でも死んでから名前が出るくらいで在世中は駄目だったのです。親鸞でも法然でもそうです。日蓮は死ぬちょっと前からでしたが、そういうようですから、まして今日はそういうやり方では駄目です。
【 竹内氏 】 やっぱり人々に希望を持たせなければ駄目ですね。
【 明主様 】 それには一つの機関が必要ですね。
【 竹内氏 】 組織をつくってやらなければなりませんね。その意味で明主様は、組織がなかったので酷い目にあわれたのですね。
【 明主様 】 そうですね。内容も肝腎ですが、やはり思いきってやらなければ駄目ですね。
【 竹内氏 】 その点あの工事はそうとうに思いきったものですね。ふつうの頭ではまったく計算が成り立ちませんからね。
コルビュジエ式に宗教感覚を
【 明主様 】 それに、たいていの宗教建築というのは古臭いもので、何百年何千年前の様式になってます。ところがそれではなにも意味がないと思います。やはりすべてその時代に合っていかなければなりません。むしろその時代よりも先にいかなければなりません。つまり指導的にやるべきものだと思います。従って救世会館はその意味において、これからの宗教建築はこういうように造るべきだ、ということを天下に示す意味もあります。そこでいま一番新しい建築様式はフランスのコルビュジエ式ですが、これはよく時代に合った一番新しいやり方です。ところがこの型式はアパート、官庁、会社というものにはいいですが、宗教的なものにはぜんぜん駄目なのです。そこで私はコルビュジエ式を基本として、ごく新しい図案にしようと思ってます。それはだいたいコルビュジエ式というのは荘厳味がありません。そこで荘厳味があるものというと、どうしても、洋館ならばもっと曲線的のルネサンス様式というようなもの、日本ならば純東洋的の伽藍式とか神社式とかになります。そこで私はコルビュジエ式に荘厳味を表わすという考えでやったのです。ですからこれができあがったら、世界的にそうとう注目される建築になると思ってます。
【 竹内氏 】 それは教主の御設計ですか。
【 明主様 】 そうです。
【 竹内氏 】 ステンドグラスかなにかお使いになられるのですか。
【 明主様 】 いくらか入れるかもしれませんが、たくさんは入れません。あんまり入れると安っぽくなりますからね。
【 竹内氏 】 日本ではあんまりできないのでしょうか。
【 明主様 】 そうでもないでしょう。マチスがステンドグラスの図案を出しましたが、あれは感心できませんね。
【 竹内氏 】 マチスのは妙に色を組み合わせて、それで三回目くらいに、やっと「これだ」ということになるのだそうですね。
【 明主様 】 われわれから言えば千代紙の新しいものでしょうね。
【 竹内氏 】 そうですね。日本の千代紙細工を新しくしたという感じですね。マチスの絵は日本の浮世絵からヒントを得たのですかね。
【 明主様 】 そうです。あれから出たのです。マチスは日本の写楽を研究したのですね。
【 阿部執事 】 谷川徹三さんが『改造』の「新年号」に書いておりましたが、コルビュジエ式も日本の建築様式からとってある。西洋式のは窓がせまいが、それを広くとってある。それから壁などもそうだ。というようなことを言っておりました。
【 明主様 】 そうです。日本の光琳がフランスにはいったときは、ルネサンスの極端になっていたところで、そこに光琳がはいっていって、その単純さに驚いたのです。そこでアール・ヌーヴォーという人《ママ》が曲線的のヌーヴォー式をつくったのです。また、それとは逆にその曲線的に対して直線的にやったものがセセッションで、これもそうとう流行しました。私もその時分に本をとりよせてそうとう研究しました。私はその時分小間物屋をやってましたので、セセッションの模様でやってそうとう売りました。そのとき博覧会でそれをとり入れてました。しかしセセッションではあまりに軽薄です。それから構成派とか未来派とかいろいろのものができましたが、結局コルビュジエが狙ったのは、極端に制約して、すべてを簡素化したのです。だからできるだけ煩雑なものを省いたのです。それで屋根も無駄だというわけで切ったのです。ちょうど豆腐のようにしてしまったのです。それから庇《ひさし》もなくしてしまったので真四角になったのです。それから色も、白一色でほかの色は使いません。ですからあれ以上の簡素化はありません。従って製作費も安く様式も簡単ですから、図案にそう苦心することはありません。それで非常に享《う》けたのです。そこにもっていって戦争で各国が財政的に困っているので、大きな建物を造るにも、なるべく安くという意味からもピッタリしたわけです。しかし宗教建築となると、それだけではぜんぜん条件にかないません。そこで私はコルビュジエ式に宗教感覚を出そうと思って、ああいう様式をつくったのです。あれですとだいたい荘厳味が出ると思います。
【 竹内氏 】 色調はどういう具合になさるのですか。
【 明主様 】 柱は人造石ですから鼠色で、間は白です。玄関は、建築家はもっと高く立派にしようとしましたが、私は削ってああいうようにしたのです。
某大家にも図案を書かせましたが、どうも気に入らないので、直接私が指図して製図屋に画かしたのです。それもいくども直させて、やっと外郭だけは思った通りにいったのです。それがあの模型です。そういうわけで玄関もずっと小さくして、腰の大理石を高くして天井も大理石で色を互い違いにして格天井にしました。天から欄間は金メッキで金色の新しい図案ですが、いま話はできないです。ですから純然たる西洋式ではなく、といって日本式でもないという一つの新しい試みです。
完成の暁は世界的大演奏会を
【 竹内氏 】 救世会館が完成したら、ああいう所も世界的の音楽家、たとえばコルトーとかをよんで、演奏させたら、非常にいいと思いますね。私は若いときに聞いたことがありますが、それも粗末な市の公会堂でしたので、なんとなく気の毒な気がしましたが、やはり周囲の環境にマッチしなければなりませんからね。
【 明主様 】 そうです。だから私はあれは将来演芸館というか芸能専門の所にするつもりです。従って宗教的の本山という意味のものではないのです。救世会館という宗教的な名前ではありますが、将来は劇場的なものにするような考えでやっているのです。たとえば外国の有名な音楽家に演奏させて、大いにいいものを聞かせるとか、すばらしくよい映画を写すとか、日本の第一流の芸能人にあそこを使わせるとかするつもりです。つまり絵とか彫刻ではなく芸能的の芸術家に、環境のいい、景色のいい所で、建築もごく新しい立派な所でやらせるというのが将来の計画です。またそういう日本人の文化的頭脳の優秀性というか、それを世界の人に見せようという意味でもあります。
【 竹内氏 】 壁画などはつけませんか。
【 明主様 】 壁画をつけるには何年も暇がかかりますからね。小川菊蔵《おがわきくぞう》さんがイタリアのヴァチカン宮殿の壁画の写真を今度持ってきましたが、それはすばらしいもので、ちょっと頭を下げざるを得ないくらいのものです。将来は日本にもそういう物は必要になりますが、金もかかるし、年数もかかりますからね。いい物は一〇年も二〇年もかかりますよ。
【 竹内氏 】 現代の画家では画くチャンスがありませんですね。
【 明主様 】 それは画かせる者がないのです。
【 竹内氏 】 最近では大きい物があまりできませんようですね。
【 明主様 】 あれは国家が非常に興隆した時代にできるのです。日本で言えば桃山時代、西洋ではローマ時代という時代にできるのです。ですから日本の桃山時代の建物には、天井まで金箔極彩色《ごくさいしき》にしてあるのが多いです。京都の二条城などはその代表的なものです。とにかく日本は明治維新この方は、そういう時代がまだ来ませんからね。というのは戦争に熱中して、そういうことに金を出す余裕がないからです。しかしこれからはそういう時代が来るでしょう。といっても、米ソの問題の決まりがつかなければ駄目です。
今後の新聞
【 竹内氏 】 いまのところ『報知』ではスポーツ、芸能、文化の三つを主眼としてやってますので、ほかの新聞とはスタイルが違ってます。
【 明主様 】 やっぱりほかの新聞と同じ編集のしかたでは駄目です。
私はこういうことを考えたことがあります。『サン写真新聞』は写真が汚くて、鮮明を欠いてます。もっと大きく目立つようにしなければ駄目です。それで月並的で魅力がないのです。ですから『サン』では小さいから、ふつうの新聞の大きさにして、『サン』ほど写真を多くしないで写真半分、記事半分というようにしたらいいと思います。つまりいまの新聞よりは写真を多くして、『サン』よりも記事を多く出すという建前でやればいいと思ったことがあります。
【 小西氏 】 教祖様が新聞経営すると、いい新聞ができると思いますね。
日本の使命
【 明主様 】 もう一つはこういうことも言いたいのです。講和以前には言いませんでしたが、民族では日本人が一番優秀なのです。これは事実を見れば分かりますが、日本人くらい世界中の文化を吸収できる国民はありません。以前にちょっとした小さな講演会で話したことがありますが、日本は自動車の組み立て工場と思えばいい。フォードでは部分品を各工場に作らせて、それを本社に集めてきて組み立てて売り出すということですが、それがちょうど日本だと思います。アメリカの文化、イギリス、ドイツの文化、東洋でも、中国、インドの文化などがみんなはいってきて、それを組み立てて立派な文化をつくるというのが、日本の使命だと思います。その使命を果たす民族が日本人とすると、日本人が一番偉いということになります。ところがいままでは、各国の部分的の文化を見て感心していたのです。それは機械的なものはアメリカにはとてもかないませんし、また英国の社会主義を見ては感心するとか、フランスの芸術面における絵画、文学に頭を下げていたのです。今後はそういう各国の特長をとり入れて、それを総合した理想的な文化をつくるのが日本人なのです。それはこれからそうなるのです。ですからいままでの日本は、その準備行為でしょう。そうして第三次戦争がすんでから、急にそうなってくるでしょう。日本人の素質は将来そういう使命があるのです。また日本人くらい各国の文化を消化できる国民はありません。だいたい、東洋というのは精神文化で、西洋は物質文化です。東洋は経《たて》で西洋は経《よこ》です。それを結ぶ時期はいま言った通りで、その結ぶ国は日本です。それで日本における結びは救世教がやるのです。救世教のバッジは十の字なのです。この赤い丸は日本を象徴し黄色いのは黄金時代というわけなのです。なにしろ日本人は劣等感が非常にありますからね。
【 竹内氏 】 終戦後は特にひどいですね。
【 明主様 】 そうです。だから『アメリカを救う』という本を出したのは、その狙いもあります。「アメリカを救う」というのですから、アッチより上の立場になるのですから、少しは刺激するだろうと思います。
アメリカは結核が非常に多いのですが、菌に対することもすっかり書いてあります。菌が伝染するから殺さなければならない、というのが医学の建前ですが、われわれから言うと幼稚なものです。それは菌が伝染するとしても、その最初の菌は忽然《こつぜん》としてできたものではなく、発生源というものがあるはずです。それが医学では分からないのです。それで黴菌というものはどこで発生して、どういうように進むかという経路を書いてあります。
【 竹内氏 】 これからは、あなたのような方に考えを出していただいて、そういうことでも大いに日本に呼び掛けていただきたいですね。
【 明主様 】 そのつもりでいます。
【 竹内氏 】 そうしていただきますと、日本の国民も自信を持ってきますから、たいへんいいことですね。
【 明主様 】 日本は、社会がすっかり汚れきっているので、これを取って磨けばたいしたものです。ちょうどダイヤモンドのようなもので、八角形にでも切って磨けばすばらしいものになりますが、川から出したままでは駄目ですからね。
【 竹内氏 】 終戦直後は朝鮮人がいばっていて、朝鮮人になりたいようなことを言っていた人もありましたが、こういうことを言っては悪いが、いまでは李大統領が来ても鼻もひっかけない状態ですが、あのころからみますと違ってきてますね。
【 明主様 】 そうですね。それは日本人はそういう使命がありますから、戦争後苦しんだことによって大いに磨かれたのです。
【 竹内氏 】 私のほうの新聞であなたの声をときどき伝えたいと思いますが、いろいろ御協力願いたいと思います。
【 明主様 】 骨折りますよ。とにかくいままでの文化が間違っていたということも、すっかり、はっきりさせたいと思います。それには一人でもよけいに読ませなければ分からないのですから、将来それが呼び物になって、『報知新聞』が大いに売れるというくらいにならなければならないと思います。私の説などいれると問題になりますから、問題になればみんな読みますから、しめたものです。結局なんでもそうですが、社会の問題になるということが一番です。それはくだらないものでは一時的で駄目ですが、本当のものなら簡単に早く知れますから、どこまでもいい意味の問題ですね。
【 小坂氏 】 明主様は最近、そのいい意味での問題になりつつあります。と言いますのは、東京での救世教に対する見方が、三年前といまとではほとんど変わってきてます。いままではいろいろな誤解がありましたが、いまでは社会に貢献するところがあるということが分かってきたのです。つまりプラスの面が分かってきたことから、救世教に対する社会の見方が変わってきたのですね。ですから新聞でもそういう点を研究して、取り上げてみたいと思っております。