折り目の正しさ

 私が初めて教祖にお会いしたのは、昭和二十四年の秋か冬でした。

 そのころ、私が映画監督として働いていた東宝はストライキでごたごたしていました。私自身もする仕事がなくなって、大映の仕事を手伝うことになったのです。

 それで、熱海の山の上の方の旅館に来て、原稿を書いていたのです。なんという旅館でしたか、三字の屋号でした。

 そこで、原稿を書いていると、ある日、突然“観音教からだ”といって使者がやって来て、教祖の手紙を差出すのです。開いてみると、『私はあなたの監督された映画を観て、いつも感心している。ぜひお目にかかりたい。自動車でお迎えに上がりますから、ちょっとお寄り願えないだろうか』という意味の文面なのです。

 それまで、私は熱海に観音教というものがあることは聞いていましたが、私は宗教の宗の字もわからない門外漢で、正直なところ岡田という人がどういう人か、まるで知識がなかったのです。車をやるから、それに乗って来い、と言ってもそうはいかない──と心の中では思っていました。

 そこで、使いの人に、「ことによったらお寄りしますが……」と言って、その時は帰ってもらいました。

 その復しばらくして、私は毎日やっている午後の散歩に出ました。いつものように、宿屋の浴衣にドテラという格好で、ぶらぶらと町の方へ出て行きました。

 すると、なんという町ですか、観音教の岡田さんのお宅があるじゃないですか。そのままはいって行くと、“信者はこちらから”というような札が貼ってある。私は信者ではないから、ここからはいってはいけないのだなと思って、玄関の方へ廻りました。

 案内を乞うと、女中さんが出て来ました。名前を言うと、「しばらくお待ち下さい」と言って奥へ行きましたがまもなく戻って来て、「どうぞお上がりください」とのこと、そして、応接間へ通されました。
 
こちらはドテラ姿です。こう丁寧にされてはちょっと困るなと思いながら待っていますと、教祖が出て来られました。

 現われた教祖は大きな椅子にアグラをかいて、全くバラッケツな感じです。私は、教祖などというものは、威厳を示そうとして、いろいろ苦心するものだろうと思っていたのに、岡田さんはそうじゃない。いい気持で話が出来ました。

 そういうわけで、初対面の時から魅力的でした。いい目だとも思いました。これは目の形ではなく、批評眼のことです。たとえば、映画についても、一般の観客の見えないところをチャンと見ていられる。すばらしいと思いました。しかも、自然のままで、気取らず、ゲラゲラ笑って相手を喜ばせる。たいしたものだと思いました。

 だから、あとになって、撮影所の人が言いました。「谷口さんは毒舌家で通っている。それが宗教家に会った。
きっと喧嘩になったでしょう」って。ところが、喧嘩どころか、恐縮して、冷汗をかいて、感心して帰ってきたというわけで、小柄で、ちょっと里見弴さんに似ていて、江戸っ子弁で、巻き舌で、それこそ談論風発、まあ何をやっても相当の人になれる方だと思いました。

 そういうわけで、私も気持よく大いに笑って、話題は尽きないという具合でしたが、帰り際に、教祖は、奥さん、お嬢さん、それに学生服の坊っちゃんまで応接間に呼ばれて、いちいち私を紹介されました。

 これには弱りました。なにしろこっちは浴衣にドテラです。冷汗が出ました。洋服を着て来ればよかった、とつくづく後悔しました。

 さっき、教祖はバラッケツで飾りのない人だと言いましたが、家族を正式に引き合わせたりするところ、実に折り目の正しい方だと感心しました。