商売も信仰も同じだよ

 いまでこそ私どもは〝岡田さん〟と気安く言っておりますが、父(岡田商店番頭、先代木村金三氏)が子供の前でご主人(教祖)の話をする時は、ほんとうに襟を正して話をするといった態度でした。それだけ人格の力と言いますか、信仰を別にして尊敬していたのだと思います。これはまだ教祖が信仰にはいっておられなかった商売時代でも同じでした。

 それで父は、自分の全生活を岡田さんに捧げて、岡田商店のために活動したという気持でいたらしいです。そのために人一倍岡田さんからかわいがっていただき、たくさんのサラリーもいただいただろうし、いろいろなことも覚えさせてもらっただろうと存じます。それで結局親父は人間が出来ただろうと存じます。

 当時は店へ通っていたわけですが、家へ帰るといつも家族の者に、岡田さんのことについて聞かせるのでした。とにかく父にとっては、岡田さんがなければ夜も日も明けないという惚れ込みようでした。

 私は、岡田商店の独特な経営法については具体的には聞いていませんが、とにかくその経営法は、時代の尖端を切った新しいやり方であったであろうことはたしかです。

 いまでこそわれわれでも、やれアメリカ式経営学を身につけなければとか、やれ人間関係を重視しなければとか言っておりますが、それに似たようなことが岡田商店では行なわれていたようです。個人商店から株式組織にされたのもその証拠だと思います。

 また売上帳簿にしても、すでに当時複式簿記にしておられたようで、後に親父は独立してからも、その形式を踏襲したようですが、そのやり方を見ますと、今日純機械化していろんな計算法がありますが、それと同じ考えのものを使っておられます。

 その点をどういうところから?まれたか知りませんが、基本的な経営技術とか、考え方とかは、恐らく当時では最右翼ではなかったかと思います。それだけに業績が伸びたのでしょう。

 たとえば、旭ダイヤの売れゆきといったら大変なものだったらしくて、当時、目ぼしい女の人は、ほとんどひとり残らず着けているといっていいくらいだったそうです。いま、繊維といえばTレーヨンがトップ・メーカーとして巾をきかせていますが、それと同じように、小間物、装身具の業界では、当時岡田商店が日本中を引っ張り廻しているような格好だったそうです。

 こういうことはみな、父から聞いた話ですが、私としても、森さんや長島さんと熱海へ伺うと、たいていお山(瑞雲郷)を案内していただきました。

 作業をしている信者さんが、岡田さんの姿を見つけると、立ち止まって平伏するんです。その光景を見ていつも、〝たいしたものだなあ〟と感心していました。

 そのあと、お屋敷(碧雲荘)へ帰ってお食事をご馳走になりながら、私たちが、「先生、たいしたものですね」と申し上げますと、きまって、『いや、きみらの商売も信仰も同じだよ』とおっしゃっておられましたが、つまりそれは、人の心を掴まなければいけないということだと思います。

 私たち昔の店員は、揃って一年に一度はご挨拶に伺うことにしておりましたが、岡田さんはいつもなつかしがられて、昔ばなしに花を咲かせながら歓待して下さいました。そして、商売の様子などたずねられて、『私は途中から信仰にはいってしまったが、立場やスケールは違っても、やっていることにはきみたちと差異がない。商売は出来るだけいいものを作って人に喜んでもらうんだし、言うまでもなく、信仰は人のために働くことなんだから、どっちも社会に貢献しているんだ。まあ、あんたがたは、商売をしっかりやってもらいたい』と温かくはげまして下さるのでした。

 岡田さんのこういう言葉を聞くと、あれだけ父が尊敬していたことが、しみじみ自分にわかったような気がしました。

 そんなわけで、私の親父はご主人から、サラリーをたくさんもらっているからというだけではなく、もっと大きな、岡田さんのある何ものかに惹きつけられていたと思います。だからこそ、ほとんど半生を岡田さんのために捧げられたのです。