大森にご厄介になっていたころのことです。そのころ一番古いお手伝いさんで、きくという人がいましたが、その方が明主様の大切な食器を割ってしまったことがあるのです。
明主様はきびしいお方ですから、どんなお叱りをちようだいするか心配して顔面蒼白となり、私に相談に来たことがあります。私も“いまさら新しい物を買って弁償するわけにもゆかず、どうしたらいいだろうね”と思案しておりました。そして、そのまま翌日になってお詫びに行きました。そうしましたら明主様は、『そりや、すぐ謝まりに来れば叱ったかも知れないが、きみは一晩中“どうしたらいいか、どうしたらいいか”と悩んだんだろう。それで罪が消えたんだから、悪かったと気がつけばそれでいいんだよ』とあまりにもあっさりおっしゃったものですから、気を揉んでおりました私どもも、あっ気にとられたほどでした。
そんなふうで始終叱られましたが、どこまでも意地わるく叱るということはなく、しごく気持のいい叱り方ですから、叱られて、かえって励みが出るといったようでした。要するに、こちらが悪いという誠意さえあれば、それですむわけですから、いつまでもくどくど叱るということはありませんでした。