代償を求めぬ愛

 たしか昭和二十八年の秋でした。

 たまたま毎日新聞に、免囚保護の仕事をしている私のことが出ましたが、それを明主様がごらんになって、美術館の奉仕者を新聞社へやって私の住所をしらべさせ、その人はその足で私の宅へ来られました。

 そして、教祖のお言葉として、『あなたのやっているお仕事はなかなか大変だから、少しでもお手伝いしたい』という申し出でした。

 それがそもそもの初めで、それからまもなく明主様から、『ぜひ熱海の方へ来てくれ』とのお手紙が来ました。

 それで、家内と一緒に碧雲荘へ伺いましたのが、お目にかかった最初です。

 初対面で私は改まるのはいやですから、そこで私の昔の苦労話をしました。というのは、私は子供のころ非常に苦労していて、日本橋の大きな店へ丁稚にはいっていました。

 その話をしますと、明主様も、昔日本橋で商売をしておられたそうで、『その店はどの辺ですか』と、しばらく昔の話に花が咲きました。そして、明主様は、『それはよかった。あなたの丁稚時代の苦労、それがいまのお仕事にも大きなプラスになっている』と言われました。

 明主様は信仰生活にはいられる以前から、人並以上に気の毒な境遇にある人を見ると、居ても立ってもいられないご性格があったようで、だから私どもの仕事を援肋して下さる気持になられたので、直接の動機は新聞記者からでしょうが、やっぱりそういう明主様のヒューマニズム的なものが強く働いて、早速奉仕者をよこされたのだと思います。

 ですから、その事業の援肋についても、何度も『無条件、無条件』という言葉を使われて、代償を求められませんでした。

 このご援肋は昇天後の今日までも、なお、ずっと続けていただいております。