教祖にお目にかかったのは、熱海大火のすぐあとでしたから、たしか昭和二十五年ごろでした。
立派なお宅で、日本づくりの広い家でしたが、熱海のどのへんでしたか、よく覚えていません。応接間のようなところでお会いしたのですが、とかく一宗の教祖などという人は、何か厳めしいところのあるものだと思っていましたが、すこしも飾らない親しみのある方で、自分で朝日のはいったタバコ盆を持って出て来られたのには、ちょっと意外な気持がしました。構えているといったところがすこしもなく、いい感じでした。
話しぶりも淡々としていて、そのあと奥さんが出て来られて、それが大変好ましいタイプの奥さんなので、私はあとでそれを誉めて書いたことがありました。
いろいろ話があってから、教祖は、浄霊とかいうものを私にやってやろうと言われます。手を上げて、しかもその手を体にジカにつけないで、それで悪いところが癒るんだそうですね。 それで、教祖が、『どこか悪いところはないか』と聞かれるので、「肩が張っています」と申しますと、『それでは、あちらを向きなさい』と言って、私のうしろからしきりに手を動かしていられます。私には見えませんが、手を動かしていられる気配が感じられるのです。
しばらくして、『どうですか』と言われましたが、なんだか急に肩が軽くなったのは不思議でした。
家へ帰って、それを一緒に暮らしている人に言いましたら、「それは気のせいですよ」と取上げてくれませんでしたが……。
その日のことはよく覚えていませんが、宗教の話は、あまり出なかったようで、多くは人生問題だったように思います。
その話しぶりが淡々としているように、話の内容も淡々としていて、へんに高飛車に教えてやると言ったところは少しもなく、世間話でもするような気安さで、美術のお話なども伺いました。 これがご縁となって、箱根美術館が出来た時に、ご招待を受けて観に行きました。この時も教祖にお目にかかっていますが、大勢のお客さまもいらっしゃることだし、教祖とお話したという記憶はありません。
ただ、いつも、どこでも、ちっとも飾らない方だという印象を強くしたことを覚えています。全く、教祖というより、どこかのお店のご主人といった感じで、辺幅を飾らず、アケスケで、そしてごまかしのない正直なお人だと感心しました。